2017-05-24 宇宙精子」使い健康な「宇宙マウス」が誕生

宇宙に9カ月間滞在したフリーズドライ精子から、山梨大

フリーズドライ(凍結乾燥)されて地球の周囲を9カ月間周回し、強い放射線をはじめ、厳しい宇宙環境にさらされた「宇宙精子」から、健康なマウスの子が誕生したことが明らかとなった。

 医療の専門家にとってはさほど驚くことではないが、いつか人類の地球外での生殖が可能になったときに、未来のスペースベイビーの誕生を助ける技術につながる結果かもしれない。この結果は、5月22日付けの「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」オンライン版に発表された。

 宇宙で実際にセックスができるかどうかは、単純にニュートン物理学的な問題だ。その答えはまだ明らかになってはいないが(実際に試した人がいたとしても、まだ名乗り出てはいない)、子を残すうえで厄介なのは、性行為ができるかどうかよりも、人間や動物が宇宙で低重力と高エネルギーの放射線にさらされ、遺伝物質が損傷を受ける恐れがあることだ。

 米ジョージ・ワシントン大学の医師で緊急医療と極限環境での医療が専門のクリス・レーンハート氏は、精子と卵子が無事に受精卵となって成長する過程が、そのような状況にどう対応するのかは、最初から最後まで全くの謎だという。

「人間の生殖が宇宙でも可能である、または安全であると言う前に、知らなければならないことが何ひとつわかっていないのです。これに関して、詳しい研究はなされてきませんでした」

 今回のマウス実験は、精子が宇宙でも生存できることを示しただけでなく、今後の生殖医療にもいくつかの洞察をもたらすものだ。

「丁寧にデザインされた良い研究だと思います」と、米カンザス大学医療センターのジョー・タシュ氏は言う。しかし、遠くの宇宙へ出て行く宇宙飛行士はこれよりもさらに強力な放射線環境に身を置かなければならない。それは研究結果を解釈する際に考慮すべき重要な点である。

放射線のレベルはおよそ100倍

 地球上では、全ての生命は重力の枠組みの中で進化し、宇宙空間を飛び交う放射線からは地球の磁場によって守られている。だが、月や火星の重力ははるかに弱く、放射線はずっと強い。

 これまで、ラットや魚、イモリ、ウニなど一握りの生物で宇宙繁殖が研究されてきたが、その結果はまちまちだった。1979年にソ連の人工衛星コスモス1129号が行った実験で、ラットは全く子どもを産まなかった。ウニの実験結果も芳しくなかったが、魚、ミバエ、線虫は繁殖に成功した。

 これらの結果を踏まえて、山梨大学の発生生物学者である若山照彦教授は、マウスを使って宇宙時代の生殖補助技術を調べる実験に乗り出した。

 宇宙飛行士になるのが夢だったという若山氏は、「宇宙での哺乳類の生殖に関する研究がとても少ないことを知ったのですが、そのほとんどでは、マウスやラットを宇宙へ連れて行くのが難しいために明確な結果が得られていませんでした」と話す。

 若山氏の専門分野のひとつは人工繁殖技術で、以前にも地球上で凍結乾燥したマウスの精子から正常なマウスを誕生させている。しかし、人工微小重力環境に保存していた精子からは、期待していたほどの数のマウスが誕生しなかった。

「本物の宇宙実験をやってみたいと思いました」という氏は、「Space Pup」と名付けた実験プロジェクトを立ちあげ、実際の宇宙旅行がマウスの精子に与える影響を調べることにした。

研究チームは数匹のマウスから精子を取り出して凍結乾燥させ、2013年8月に国際宇宙ステーション(ISS)へ送った。凍結乾燥のおかげで、地球の衛星軌道までの数日間精子を安定して運ぶことが可能になった。

 ISSの日本実験棟へ到着した精子は、マイナス95℃で冷凍保存され、288日間(約9カ月)宇宙に滞在した。保管庫に取り付けられた放射線モニターの記録によると、放射線のレベルは地上のおよそ100倍だった。

 2014年5月に、精子は米国スペースX社のロケットに乗せられて、地球へ帰還した。

 若山氏のチームが早速調べてみると、案の定、精子頭部の遺伝物質は放射線を浴びて損傷していた。地上から400キロ離れた宇宙空間を飛行するISSは、より高エネルギーの放射線にさらされている。宇宙放射線に長い間被ばくすることは、長時間の宇宙旅行に立ちはだかる障害となっている。

「論文で報告された量の放射線被ばくは、バン・アレン帯の外側へ出ようとするときに受ける被ばく線量とは比べ物になりません」と、タシュ氏は言う。バン・アレン帯は、地球や宇宙ステーションを取り囲む、いわばもうひとつの防護壁だ。

 しかし、精子の損傷は回復できないほどではなかった。若山氏のチームは、マウスの卵子に宇宙精子を直接注入してできた受精卵をメスのマウスに移植した。その結果、正常で健康な「宇宙マウス」が誕生した。誕生直前の子マウスの遺伝子発現パターンは、凍結乾燥されて地上に留まっていた精子由来のマウスと比較しても著しい違いはなかった。

 論文はさらに、これらのマウスが成長して互いに交尾し、正常な子が生まれたとも報告している。研究チームは、宇宙から帰還した精子に長期的な生殖の問題はないことが示されたとしている。

精子の保管庫を宇宙に

 今回の研究結果が支持されれば、人類が本当に知りたいこと、つまり人間も宇宙で健康な赤ちゃんを産むことができるのかという研究につながることが期待される。

「これまでの宇宙における生殖研究で、確かにこのような実験は行われてきませんでした」とレーンハート氏は言う。「研究チームは、精子を凍結乾燥することで基本的に代謝を止めてしまい、放射線による損傷をある意味最低限に抑えることができると考えたのです。時を凍結させるようなものです」

 若山氏の研究チームは次に、マウスの受精卵をISSへ送り、数百個の細胞からなる「胚盤胞」の段階まで成長するかどうかを実験する計画だ。

 タシュ氏も来年、凍結保存して宇宙旅行した人間の精子が、体外受精を成功させられる特性を残しているかどうかを研究する。

 最終的には、生物のサンプルを宇宙で安全に保管できる技術が完成したあかつきには、様々な生物の精子を集めて宇宙船に乗せたり、月の溶岩洞に保管したりすることを若山氏らは提案している。地球上の生命が滅亡してしまうような大災害が起こった場合の備え、あるいは、地球外で似たような生命体を作り出す際のレシピ集として。(ナショジオ)